マインドフルネスの知識

マインドフルネスと唯識の関係は?

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最近TVなどでも紹介されている、マインドフルネスをご存知ですか?

瞑想や呼吸法などを通して、「今、ここ」そのまま、生かされている事に気付き、認めることで、気持ちが安定したり、能率が上がったり、ストレスが軽減したりする効果が確認されています。

元々は仏教の瞑想、禅などの修行の一つから来ています。

唯識というのは、仏教のコトバですが、仏教者でなくてもわかるようにお伝えできれば、と思います。

マインドフルネスとは?

語源としては、仏教の「念」の英訳であるmindfulnessからきています。

コトバの意味は、「思いやり」「心にとどめる」「気が付くこと」などと訳されるようです。

仏教の教えにおいては、人を苦しみから完全に開放することや、悟りにつながることと言えるでしょう。

呼吸法や、瞑想などを通して、「ただ、今」そのまま、この瞬間に意図的に意識を向けて、評価せず、とらわれもない状態で、ただ観るという訓練です。

人の脳や心は、常に色々の思いが渦巻いていて、過去の出来事をあれこれ思い返して悔やんだり、腹を立てたり、未来の事を心配したりしています。

その脳のおしゃべりを、一旦置いて、そのまま、雑念は雑念として認めて流し、ニュートラルな「いま」に目を向けることで、過ぎた苦しみも、まだ来てない不安も、消すことができるようになるのです。

唯識とは?

唯識(ゆいしき)とは、大乗仏教のコトバのひとつです。

ウィキペディアによると、個人にとってのすべての事が、ただ(唯)八種類の識によって成り立っている、という見解のこと、と載っています。

この八種類というのは、五感(視覚、触覚、嗅覚、聴覚、味覚)と意識、潜在意識と、更にその下の人類意識などの超潜在意識を合わせた、八つの意識のことだそうです。

あらゆる諸問題、諸存在は、個人の識で主観的な存在だ、という事です。

わかりやすく言えば、「ある出来事が事実」だと思っていても、それは、その人の「見かた」でしかなく、もしかしたら、他人から見たら「別の事実」があるかもしれない訳です。

私は、現在認知症の二人の母の介護をしているのですが、認知症の人を観察すると、何故かそのような事をよく感じてしまうのです。

母の認識は、私が見ている事実とは違うかもしれないですが、母にとっては事実でしかないのです。

説明しても理解できないし、そもそも耳が遠くて言ってる事が、そのまま聞こえていませんし、そうすると、母が「こう」だと思った事が、事実と違っても、「母にとっては」それが「事実」だと思ってしまうしかないのです。

そして、それは認知症に限らないのかもしれない?と思い至ったのです。

五感そのものも、自分と他人が全く同じ感覚を持っているかどうかを、比べる事はできませんし、増して、潜在意識は自分の潜在意識でさえ、何が入っているか気付かない訳です。

その人その人の「見え方」で、事実だと思う出来事も、違う訳です。

ある人にとっては「善」でも、別の人にとっては「悪」のことさえあります。

そうなると、「事実」「現象」だと思っている諸存在は、本来は「無い」のかもしれません。

私は仏教を学んだわけではありませんので、仏教で説くところの「唯識」とは違う解釈かもしれませんが、そのように感じました。

どんな効果がある?

マインドフルネスでは、「いま、そのまま」の自分に気付いて、そのままを受け入れる事を訓練します。

唯識では、すべての事が、自分の「見かた」で出来ているという事を知ります。

その事に気付くと、「悪だ」「善だ」という心も、自分次第なのだと気付きます。

人や物事が悪い、相手が悪いわけではなくて、「自分が、相手が悪い、と見ている」から「相手が悪く見える」という事に気付く訳です。

鏡の法則とか、類は類を呼ぶ、とか、相手の姿は自分の心の影、とか哲学、心理学などでも、いろいろ心の法則を教えられますが、「自分が変われば、世界が変わる」のです。

自分の認識が変わるので、それこそ極端な話ですが、認知症の人が自分の作り出した世界の中で、自分の声にむかって「バカ」と怒ったり、「ありがとう」と言ったり、しているのと似ているかもしれません。

自分が「幸せ」だと、認識さえしたら、他人から見て「不幸そう」な現実の中で生きていても、本人は「幸福」でいられる訳です。

マインドフルネスの「いま、そのまま」を認める訓練をしつつ、唯識を知って自分の見かたを変えていったならば、ストレスも軽減されて、何ごとにも感謝できる、おだやかな生活を送れるのではないでしょうか?

まとめ

マインドフルネスとは、「いま、そのまま」の自分を評価せずにただ観るという訓練のことです。

そして唯識というのは、五感と現在意識、二層の潜在意識を加えた八種類の識で、諸存在は成り立つ、という仏教の見解です。

それを両方知って、訓練する事で、いまの現実がどうあっても、そのまま感謝で捉えることができるようになります。

たいていの問題は、感謝できた時には卒業できているものではないでしょうか?

どうぞ、マインドフルネスと唯識の実践で、おだやかな毎日が訪れますように。

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