「自分の利益だけに目が行く人」「自分中心に物事を判断する人」を個人主義と表現している人を、ときどきみかけませんか?
クループで共同作業を行うとき、個人主義の人がいると話もまとまりにくく苦手だと思っている人も多いようです。
これは個人主義と利己主義が同感覚でとらえられているからであり、個人主義は本当に共同社会の中で協調性のない存在なのでしょうか?
アドラーが創始した「個人心理学」は、個人を尊厳し自分の内を見つめて幸福を求める心理学ですが、先ほどのように時折誤解が生じるものの後輩たちに引き継がれ、現代にマッチした心理学として今注目をあびています。
同じように自分に意識を向けることでストレスを緩和し、幸福を得る手法として広く知られるようになったのがマインドフルネスですが、アドラー心理学とマインドフルネスは同じようなものと考えてもよいのでしょうか?
このコーナーでは、アドラー心理学とマインドフルネスについて詳しく見てみましょう。
アドラー心理学とは?
周りの影響によって人の幸福度は変わってくるという考え方が一般的であった当時アドラーは、個人は全体の中の一固体であり、幸福度は自分の認識や行動によって現われるものであるととらえていました。
アルフレッド・アドラーが考え出した心理学は、その当時突出しすぎて異色を放っており、皆から理解を得るには難しいところもあったようですね。
アドラー心理学を貫いている主な理論は、次のようなものです。
・人は目的をもって行動する
・人は孤立したものではなく、全体の中の個人である
・人は自分の経験や思考力の中で、物事を判断する
・人は対人関係の中で行動する
・人は自分の考えで行動できる
・人それぞれに自分なりの生き方がある
アドラー心理学ではこのようにも言っています。
人間は対人関係から逃れることはできず、最初から個人であり、社会的存在でもあると。
つまり、幸福度は個人の創造力に係わるもので、共同生活の中でどのように振舞うかは個人の質の問題ということでしょう。
マインドフルネスとは?
心配事や悩み、恐怖概念などさまざまなネガティブ思考が心を占領すると、幸福度が低下したり心身病を引き起こす原因になりますよね。
このようなストレスを取り除くために、自分の意識に集中することで頭の中をリフレッシュする手法がマインドフルネスです。
脳はある一点に集中していると、他の考えが入り込む余裕はなさそうですね。
そのような脳の構造を利用しているのが、マインドフルネスといえるでしょう。
意識的にあるものに集中していると、心のストレスを招くネガティブ思考や悩みは浮かばず、心は穏やかな気持ちでいられます。
自分の呼吸を意識して瞑想を行う方法もありますが、もっと生活に密着しながらマインドフルネスを行う方法もありますよ。
たとえば
・ウォーキングしながらマインドフルネス。
「右の足左の足」と足の動きに合わせて意識を集中させます。
・食事しながらのあマインドフルネス
口の中の食べ物を良く噛んで、食感や味などに意識を集中させます。
・時計などの規則的な音や鈴の音に集中して耳を傾ける方法もあります。
アドラー心理学とマインドフルネスの関係は?
アドラー心理学もマインドフルネスも、どちらも人間の幸福に焦点を当てて開発されたものですが、アプローチの違いを感じますね。
アドラー心理学は理論を理解することで、幸福度を増す考えや行動を起こしていくやり方。マインドフルネスはまず行動することで幸福度を体で感じていくもので、理論はあまり表に出てきません。
どちらも人間の本質から導き出されたものではありますが、「似て非なるもの」という感じがしませんか?皆さんはいかがでしょうか?
まとめ
この記事を書いているうちに、過去の就職試験のことを思い出しました。
自由題でしたので、原稿用紙に「全体主義と個人主義」と題して、個人主義は利己主義のことではなく、全体主義の中の調和が取れた個人主義のこと、みたいな内容だったと記憶しています。
今思えば、まさにアドラー心理学だったのですね。
価値観や幸福感は個人の問題で個人の中で追求されるものですが、あくまでも社会の中で調和を見ながらの話で、対人関係でギスギスしていたら幸福は得られないですよね。